元気ないきものにあこがれてぼくたちは

良いか?俺は毎日明るく楽しく生きるのだ

「アド・アストラ」はギャグ映画じゃないのか?という妄念とその結果

※この記事は公開中の映画アド・アストラの激しくもおぼつかないネタバレを含みます。これから観る予定の方はブラウザバックされることをオススメします。
※あと火星DASH村オデッセイのネタバレも含みます


必ず、連れて帰る——

はい。

ブラピ・SF・父探しと、 いつも心にタイラー・ダーデン を携えて生きている男の子なら観に行かない理由がないのでは?という三拍子が揃った映画アド・アストラ
最近ならワンスアポンアタイムインハリウッドでやはりブラピは良いものよ…と思った方も多いのではないでしょうか
映画牧場の乾いた太陽に照らされたブラピのその、シワのグッと増えた横顔を観ながらああきっとブラピはしわくちゃのおじいちゃんになっても「俺たちのこうなりてぇカッケー男」でいてくれるんだろうな…と涙が出てきたものです


話はアド・アストラに戻りまして

うみひろちゃんもそんなこんなでかなり楽しみに公開日を待ち構えていました
楽しみにしてるもんだから何回も予告編をyoutubeで見直したりね、するわけです
でも結構、予告編から得られる情報って限られてませんか?

①お父さんが太陽系の彼方にいる
②お父さんはヤベーやつかも
③必ず、連れて帰る——

テキストにすると得られる情報ってこんだけなわけです、公式サイトを見てもこれ以上のことはほとんどわからない
楽しみ、早く観たいという気持ち+情報をギッと制限された状態、この状態が続くとどんなことが起こるかわかりますか?

そうです妄想が始まりますね

ああでもないこうでもないと妄想が膨らむうちに、そんなに楽しみにしちゃって…実際グッとこない映画だったらどうするの?という生来のネガティヴまで加わって、気づけばアド・アストラにたいする妄念が出来上がっていました

アド・アストラ、もしかしてギャグ映画なんじゃないの?

そんなわけねえだろと今なら思うんですけど、そのときの私といったら鼻先にニンジン(予告編)をぶら下げられて飢え続けている状態なわけですから、そういった極限状態では妄念が沸くのもまた是非もなしなのかな?とも思います(思いますじゃないよ)


写真の中のトミー・リー・ジョーンズとか


カメラ映りの悪い(二重の意味で)トミー・リー・ジョーンズとか


意味深に覗くドナルド・サザーランドとかが

なんでかギャグに思えてくる

まあまあまあ
まあまあまあまあ
この現象って個人的にはままあるんです、こちらが持ってる情報が少ない中でトミー・リー・ジョーンズのようなネームバリューのすごい俳優を出されると「主人公の行方不明のお父さん」というよりは「を、演じているトミー・リー・ジョーンズと認識してしまうというか

演者の演技力とかハマり具合とか関係なく演じてる感が大げさに強調されてるように感じられて、結果ギャグのように感じるっていう、そういう現象ありませんか?

コントなんてそうじゃないですか、演じることを強調することで笑いにする、コメディにするギャグにする


ドナルド・サザーランドなんて予告編の時点ではどんな立ち位置かもわからないので、なんとなくキーパーソンぽい白髪の老人、というのがインターステラーマイケル・ケインとかぶるのも相まってこう、そういうコント感が、コメディ感が、ギャグ感が、加えて主人公がネームバリューにもほどがあるブラピ…ああーッもうこの話は虚構だ!!っていう…※そんなことを感じる私がおかしいというのは重々承知しています

あー誰かわかってくれないかな〜この感覚〜(妄念だからね)



ここまではマジの妄念なのでハハッと流していただいて、以下実際に鑑賞後の感想になります
マジでおぼつかないながらも激しくネタバレしているので観る予定のある方はマジ読まないでね
個人的には観て楽しい映画だと思うので、こんな拙いネタバレを読んで観なくていーやってなるのは勿体無いしブラピに顔向けできなくなっちゃうので…(妄言が大渋滞)


もう観た或いはネタバレ程度では心の太平が少しもさざめかないという方はれっつごー!




アド・アストラ、鑑賞後の感想です
ところどころギャグでした

総評:ホントはもちょっと尺あったでしょ?
実際予告編にあって本編にないシーン、そこはいるやろなシーンあったし…
本当はもっと長かった物語を時間の都合なのかバツバツッとブツ切りにしてくっつけ直して、それでももともと抑揚のない物語なので抑制の効いた物語なのでそんなに違和感もなく観れるんだけど、観終わったあと「どんな話だった?」と聞かれると答えられない、これがメインテーマ!というにはどの要素も…という感じ、もののたとえよ?


互いに尺を食い合う二つの主軸

この映画にはメイン要素が二つあり、
一つは「SF」
もう一つが「父子の関係が根っこに巣食った主人公の精神的成長・カタルシス
だと思われます
で、どちらも単体だとわりとはしょり気味だったりガバちょだったりで印象が薄い

恐らくこの二つのメイン要素がお互いに補完しあったりいい感じに錯綜することを狙っているんだろうな〜というシーンはありましたが、というよりはSFとヒューマンドラマが互いに尺を食い合っている地獄という印象を受けました

ストーリーラインとしては
父親がいなくなったことに起因する主人公の内向的というか排他的というか他人に心を委ねることができないってところを物語を経てセラピーして、ペル・アスペラ・アド・アストラ、困難に耐えて星に至る、解決する、身近な人に心を委ねて生きていくのが人間のしあわせだよね…という星に至る、というもの

でもこの映画はSFもしてて舞台が宇宙で、基本的に主人公は一人きりです

だから他人に心を委ねることができるようになったかな?ってテーマを回収するためには、あんなトンデモいきなりギャグみたいな展開をとってでもなんとか速やかに地球に帰還して、最後の元奥さんとのシーンのための尺を捻出しなきゃなんないんですよね
人間関係の掘り下げ、というか人間関係の中で主人公がどう振る舞うのか、それがどう変わっていったのかがわかるシーンがなく、それゆえオチにたいしてなんとか説得力があるのがこの映画では元奥さんしかいないから
「行かないで」と言えなかった主人公が「もう一度会いたい」と言えるようになったんだね!海王星行って良かったね!という展開にするしかないので…


映像はとても綺麗でそれっぽくわくわくする
ただこのそれっぽさ・まじめにSFしてくれそうな感じのテンションもアド・アストラにおいては仇になっている気がします
このそれっぽいテンションでずっときたのに最後にあんな、すべての宇宙考証をぶん投げた宇宙船ケフェウスへの帰還および地球への帰還をやってしまうので、その先のヒューマンドラマ的オチもなんだかとってつけたような、安っぽい印象になってしまう
頑張って海王星までお父さんに会いに行ったら、仕事も恋も地球への帰還も上手く行きました!という、進◯ゼミ漫画的な…あるいは一時期のほ◯怖的な…(クレームでもあったのか、取ってつけたように「怪奇現象にあったけど、仕事も恋も上手くいってます!」とオチをつけた話が乱立していた時期ありましたよね)

主人公が宇宙船ケフェウスに駆け込み乗車して、成り行きで先に乗っていた乗員3名を全員死なせるっていう地獄のようなシーケンスがあるんですが、「リマ号の中で反乱が起き、やむなく乗員を死なせた」という経緯のあるお父さんと主人公をダブらせる狙いがあるのかな…とは思うんですが、だからなんなのかわからなかったです
そもそもこの時点ではお父さんの経緯(映像記録による報告)が真実かどうかわからないしね

SF・ヒューマンドラマ二つのメイン要素が食い合ってるところにお父さんはなんなん?っていうサスペンス要素まであるんで、結局なにもかもが不明瞭なまま、観てる側としてもこれから火星だ!海王星だ!お父さんに会いに行くんだ!と言われてもどういうスタンス・モチベーションで観てればいいのかわからないっていう、そうこうしてるうちに主人公は何かいつのまにか悟ってるし、あっさり地球にも帰れるし、悩みは解決したし奥さんともヨリ戻せそうですfin...

…よ、よかったね

っていう感じの映画でした

月面の街や火星の街とかいろいろ、ワクワクする要素はたくさんあったので観て良かったと思います
「紛争地域だから」「襲撃あるかも」という前フリを散々しておいて紙装甲で出かけて行って案の定襲撃されて大ダメージ受ける展開にはギャグにも流儀ってもんがあるやろがいという気持ちになりましたが
ナンバーワン大好き映画ではないけど、ふつうに…という感じ





この映画は丁寧なコメディ映画なので、ガチンコランデブーで救出という、T○KIOすぎる脳筋すぎるトンデモすぎるクライマックスでも最高に熱かったんだね

「セブン」は鬱エンドだけどバッドエンドじゃないんずや

!この記事には映画「セブン」とノベライズ版の激しくも覚束ないネタバレがあります。!


私が生まれて初めて自分のお金で買った円盤は、デヴィッド・フィンチャー監督の『セブン』です。

セブン [Blu-ray]

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びんぼー高校生の頃…ホックホック顔で買い、夢中になりました。
オーディオコメンタリーを舐めしゃぶるように見、その後ノベライズ版に手を出し、「日本語と英語じゃどうしても伝わらないニュアンス…あるよね?…アタイはまだ真のセブンを読めていないのかもしれない…?」という妄執に囚われ英語力3にもかかわらず原語小説のルビ訳版にまで手を出しました。
わかりやすく言うと狂人です。

セブンはどちゃくそ有名だし、「後味の悪い映画を挙げるスレ」みたいなのが立つとテンプレ入りするような作品なので観たことなくてもなんとなく知ってる人が大半なのではないかな~と思う。
無理くり一文であらすじすると「スレた大都会で七つの大罪をなぞらえた連続殺人が起こって、それに最後の担当事件として関わる退職予定の刑事とその後任刑事の一週間の話」どすぅ。
タイトルのセブンは七つの大罪のことでもあるし、一週間てところにもかかってるんだね!好きぃ!

「後味の悪い映画を挙げるスレ」にテンプレ入りとか、あらすじからプンプンする不穏臭から明らかなとおり、勧善懲悪!愛は勝つ!完!って物語ではない。観た後気分がズンと落ち込み、人によってはクソ〜〜こんな夢見悪い映画見せやがって〜〜二度と見ねえ!ってなるかもしれない。
実際公開当時の試写会ではエンドロール後お通夜状態だったらしいし、試写を終えたマダムたちが「こんな胸糞映画を撮った人は死刑になるべきよ」などど話し合っているのを通りすがりの監督自身が聞いてしまい、ショックで部屋に閉じこもったというエピソードがあるくらい。(かわいそう)

でもさでもさ~完全バッドエンドじゃあ無いんだよ~!
観客の皆さんに胸糞悪くなっていただくことが狙いの映画じゃないんだよお~!!
救いはあるよ!希望はあるよ!!
むしろ我々こそが希望があると受け取って繋がなくてはならないそんな物語じゃないですかあ!!!!
ミルズの意思を継げ!!!!
サマセットの願いを尊べ!!!!!!
うわああああああ!!!!!


と、「セブンは救いようがない鬱映画」という評価を見るたびに発狂している狂人がアタイ、うみひろちゃんなので、その話をしますね。


スレた大都会で七つの大罪をなぞらえた連続殺人が起こって、それに最後の担当事件として関わる退職予定の刑事とその後任刑事の一週間の話

この退職予定の刑事がサマセット刑事、演者はモーガン・フリーマン、かっこいい。
そして後任刑事がミルズ刑事、演者はいっちばん忙しかった時期のブラピ。かっこいい。
そうですバディものなんですよ~枯れて擦れてる食えないおじさん刑事と若くて血気盛んでいっちょ都会で大事件解決してやらあ!な青年刑事っていう王道も王道のバディものなんですう~!アハハ!(なにわろとんねん)

この二人がまあ~対照的です。

牧歌的な田舎から希望して大都会に赴任してきたミルズと、一週間後には刑事を辞めて牧歌的な田舎で隠遁しようとしているサマセット
若くエネルギッシュで直情的なミルズと、おじさんで疲れ果てていて確信のないことは必要でも話さないサマセット
ワンちゃんと儚くって綺麗な奥さんと暮らす新婚のミルズと、バツ2で独身のサマセット
何よりこの世の正義を無邪気に信じているミルズと、絶望して諦め街から逃げ出そうとしているサマセット

こんな二人ですから当然仲悪いです。
ミルズはサマセットのことを聖職者ぶってていつも不機嫌で刑事という仕事から逃げ出そうとしてるくせに偉そうで我慢ならない、と思っているし、サマセットは年長者の余裕はありつつも、感情的すぎて瞬間湯沸かし器どころかナパーム弾、すぐブチ切れて捜査に支障をきたすミルズのことをさすがに殺してやろうかという瞬間もある。
いやあバディものの醍醐味ですよね〜アハハ

正直二人とも別ベクトルに同じくらい曲者すぎてどっちもどっち感が否めないんですが、じゃあ周りの反応は?強いて言うならどっちが適当な姿勢なのか?というと…
最初の殺人事件現場で、サマセットがミルズに大都会に来る前、田舎町で何をしていたのか聞いたときの同僚たちの反応が象徴的です。

「殺人課に」
「あそこじゃ、年に何件、殺人事件が起こる?」
「ああと……六十件から七十件といったところかな」
指紋採取のために粉をかけていた背の低い女が、さもおかしげに笑い出した。「ここじゃ、ひと月にそれだけの事件があるわ」彼女は言った。

感じ悪ぅ。
もうみんなね、ミルズに感じ悪いんですよ。
そりゃミルズがどんな職場にもある暗黙の了解とか空気を読むということを全くせず自分ルールで多方面にナパーム!キレ散らかすのも悪いかもしんないけど…ど…
刑事として当たり前に悪と戦いたくて、世の中をより良くしたいと思っているミルズをせせら笑う雰囲気が全体にあるんです。あらあら田舎の坊やが何か言ってるわって。
世界全体が悪が跋扈してる状態に麻痺していて、それが普通だと思っているし、直そうとしたって無駄だからやり過ごしていきましょって堕落している。
悪ってのは何も殺人事件だけじゃなくてですね、通りすがりにピャーッとか奇声をあげて絡んでくるヤンキーとか、万引きとか、悪徳弁護士とか、割り込みとか、キティ・ジェノヴィーズ事件とかいわゆる現代社会の闇的なね…それをこのままじゃダメだ!直していきましょう!ていう気持ちのある人が一人も居ない、みんな麻痺するか擦り切れてしまっている、この雨降り続ける大都会はそんな街なのです。

で、サマセットの絶望もそこにある。

約二十年間刑事として働いてきたけど、少しも世界は良くならなかった。
それはこれからも変わらない人間は変わらない何も良くはならないだろうと思うともう戦い続けることができなくなってしまって…やっと大都会から逃げ出す決心をした、というのが物語開始時点のサマセットなのです。
限界を迎えて逃げ出すことにした、ではなく逃げ出す決心がやっとついた、というのがまたミソなのですが…

サマセットの絶望を表す小ネタとして、サマセットがバツ2というのも説得力があるなあと思うんです。これはノベライズ版でしかはっきり出てこない設定なんですけど(映画では離婚歴がある、と言及するのみ)。
リアルのバツ2の方については一概に言えませんが、物語の登場人物であるサマセットに与えられたバツ2という記号に限っては、重要なのは「二度離婚した」というよりは「二度結婚したが、三度目はなかった」という点じゃないかと思うんです。
一度離婚して(失敗して)、再び結婚したけど(失敗したことに挑んだけど)、またうまくいかず、みたび結婚(挑戦)はしなかった、これって刑事として何度も何百回も悪と戦おうとしてきたけど、今まさに街から戦うことから逃げ出そうとしているサマセットをそのまま表してるなって。

サマセットの絶望つながりで、アタイがいちばん好きなシーンがサマセットとトレイシー(ミルズの奥さん)の朝のダイナーでの会話シーンなんだけど、何をしているかというとトレイシーは妊娠していて、それをいの一番にサマセットに相談している。
なぜサマセットに?というと、トレイシーはこの街で知っている人が夫であるミルズとその同僚のサマセットしかいないから。
なんで夫ではなく…というとそれはもう…産むか産まないかで悩んでいるから。
トレイシーは無垢なるもの・サマセットが本来そういうもののために戦いたいと思っていたものの象徴で〜とか言いたいことはいろいろありますが、重要なのはトレイシーがもうサマセットと同じ絶望を抱き始めているというとこなのです。
こんな酷い世界に子供を産み落とすなんて正しいことなのか?と。
サマセットは自分はこの相談にふさわしくない、と思いながらも結局正直に答えるんです。
最初の妻とのあいだに子供ができたこと。
とても嬉しかったこと。
けれど結局前述の恐れに囚われてぬぐい切れず、堕胎させたこと。
今でもそれが正しい決断だったと思っていること。
けれど、後悔しない朝は無いということ。
もし産めないと決断したなら、ミルズには決して話すな、話したら夫婦関係まで壊れてしまうから。でも産むと決めたならすぐにミルズに話して、子供が生まれたなら精一杯甘やかしてあげなさい、と。

残酷すぎる答えですが、これ以上ないくらい真摯な答えです。
お為ごかしでなくトレイシーが本当に聞きたがっていることに正直に答え、心からの希望を託す。
本当にこのシーンはモーガン・フリーマンが名演で…泣きながら聴いているグウィネス・パルトロウも名演で…
二人のピュアな絶望がひしひしと伝わってくる。
サマセットの絶望ってすごくピュアなものです。
「今生きてるから、いつかは絶対死んじゃう」というような、身もふたもない絶望に近い。
「この世界は素晴らしくなくて、人々の意識が変わらない限りそれは変わらなくて、一人で戦い続けたってどうすることもできない」
疲れ果てたサマセットはそう思っていて、そんなサマセットをミルズは激しく責めるんです。
「俺はこの街に残って戦い続ける人間だからな。逃げ出すあんたとは違う」と。

サマセットはミルズのことを瞬間湯沸かし器もといナパーム弾だと思っていて、そんな調子じゃこの街で一年ももたないだろうと見くびって心配していますが、同時にミルズが正しいとも思っています。
有名なラストシーンのモノローグ

ヘミングウェイが書いてた。「この世は素晴らしい。戦う価値がある」後半の部分には賛成だ。

がありますが、ノベライズ版だとこれって若かりしサマセットがヘミングウェイを読んで、マーカーを引っ張っておいた部分なんですよね。
ミルズと同じくらい若かった頃のサマセットは、ミルズと同じように世界は素晴らしい良くあるべき場所で、そのために戦う価値があると思っていた。
長い年月のあいだに擦り切れて絶望してはじめは何も知らないくせにと内心ミルズを疎んじがっていたサマセットが、一週間のうちに次第にミルズが正しい、やっぱそんな世界であってほしいと願うようになる。
この事件を無事に終えて、ミルズがその精神性のままもう少しうまく立ち回れるようになれば…ミルズは自分と違って戦い続けることができるかもしれない、トレイシーとその子供とこの街で生きていけるのかもしれない…と願い始めるわけです。
いやあバディものの醍醐味ですよねこういう心境の変化って!アハハ!(なにわろとんねん)


で、結末。


いや、有名だから…kwskしなくていいかなって…

トレイシーは殺され、ミルズは犯人の思惑どおりに犯人を撃ち殺し、かくして七つの大罪(というより痛悔)は完遂。

うわ〜〜んこんなバッドエンドに誰がした〜!!おめえか〜!?!?(脚本)おめさんか〜〜!?!?(監督)死刑だこんなもん死刑だ〜〜!!!(そして引きこもる監督)

てなもんですが。
いやでも待って!待って待って!
救いはあるから!ちゃんとあるから!
座れ!!!

ミルズが連行されてボーっとしてるサマセットのところに上司の警部がやってきて、
ミルズは情状酌量の余地があるので極刑は免れるだろうが、丸腰の容疑者を殺すという警官としていちばんやっちゃなんねえことをやっちまったので、刑事としてはもう再起不能
という話をします。
ボーっとしてるサマセット。
そんなサマセットに警部は嫌な事件だったね、でももう終わったから、忘れなよ、刑事人生お疲れさま、と言葉をかけます、良い人なので(ちなみに演者はリー・アーメイ、ハートマン軍曹です)。
そこでサマセットは一言。

「やっぱ辞めない」

え?

もう一言。

「また月曜日に。(See you,Monday.)」
遠景で歩いて行くサマセット。そして有名なヘミングウェイの引用。この世は素晴らしい。戦う価値がある。後半の部分には賛成だ。エンドロール。

ぅううううううう!!ですよ。
くううううううう!!!ですよね。

ごめんなさい、さすがに「何がだよ」というか「やっぱりこの人、狂って…」と思われそうなのでちゃんとしますが、このへんはノベライズ版だともう少しわかりやすく、というか直球に書いてあります。

ミルズがいなくなったいま、だれかが踏みとどまって闘わなければなければならないのだ。

そう、ミルズのためなんですよね。
サマセットはこの街に、世界に絶望したままです。
勧善懲悪の結末は訪れず、それどころか最悪な街での救いようのない刑事人生のこれ以上ないくらいえげつないトドメのような結末を迎えて、事件は終わります。
でも、この世界に戦う価値はあると言う。
ミルズのように戦おうとする人がいる限り、この世界には戦う価値があると、思い直すんですよね。
いや、思い直すというより願いに近い。
サマセット自身は価値があるなんてやっぱり思えないかもしれない。
それでも戦う価値があるはずだ、そうであってほしい、そうじゃなきゃ…というか細い願いに近いものです。
そういうか細い願いだけを頼りに戦い続けることに疲れて刑事を辞めようとしていたサマセットが、か細い願いだけを頼りに戦い続けることを選ぶ。
これを救いと言わずになんと言うのか。
というか、救いと言わなきゃならないと思いませんか?
サマセットのか細い願いに、我々一人一人が寄り添わなきゃならないと思いませんか??
たった一人の願いではどうしようもないと絶望したままのサマセットがそれでも願いを持ち続けて戦い続けるのだから、私たちもそれをスクリーンから受け取って繋いで行かなくてはと思いませんか???
鬱エンドだ救いがねえ〜なんて言ってる場合じゃねえ!!って、思いませんか????
ねえ?????(過激派のアタイ)

サマセット個人の幸せを思うなら絶対予定通り退職して田舎で隠遁したほうがいい。
嫌な事件は、今回の事件はすべて忘れて、心穏やかに過ごしたほうがいい。
そうしてほしい…もう休んでほしい…涙
でもサマセットは戦い続けることを選んだ。
今回の気の滅入るような事件も忘れない、戦おうとする人がいる限りこの世界には価値があるはずだから、ミルズが戦おうとした世界にそれだけの価値を持たせ続けるために、踏みとどまって闘うことを選んだ。
これって激アツじゃないですか?少年マンガじゃん…(穏健派のアタイ)

セブンは鬱エンドだけどバッドエンドじゃない、そう受け取ったら本当におしめえよ!
救いはある、絶対にあるんずや!

私の言いたいことはそんな感じです。


〜セブン余談〜
ミルズの罪は憤怒、というのが通説で公式だと思うんですけど、アタイのママは「え?ブラピの罪は『無関心』でしょ?」って言うんですね〜。
いや、無関心は七つの大罪にないけどおん…?
「だって奥さんはずっと不安に思ってたのに、その不安を理解しないで、ちゃんと向き合わなかった。だからブラピの罪は無関心でしょ?」って。

いやあ…それはガチな夫婦間の罪ですやん…




何度でも観ろ

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ノベライズ版を読め

セブン (二見文庫―ザ・ミステリ・コレクション)

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狂人用(または英語のお勉強に)